ジョジョ第5部の最後に「ローリング・ストーンズ」のエピソードが必要だった理由

 

ローリング・ストーンズの話が最後にくる意味

 

今ジョジョの奇妙な冒険5部「黄金の風」がアニメ化されていて、アニメからジョジョを見始めたであろう人が、SNSとかで『ジョジョ第5部で、ローリング・ストーンズの話って必要だったか?ボスを倒して第5部完で良かったんじゃない?』みたいなツイートを見かけたので、今日はローリングストーンズの能力とかエピソードの意味とかを自分なりの解釈で書いていこうかなと思います。

 

まあ『ローリングストーンズ』のエピソードってボスを倒した後に急に来る前日談の話で、一見すると???みたいなオチなので、さらっと読むと「この敵でもない悟り開いたおっさんなんなんだよ、主人公のジョルノがGERでディアボロのキンクリ倒して大円団で終わりでいいじゃん」って感想になると思います(自分も初見はそうでした)。

 

しかし何回か読むとローリングストーンズのエピソードは5部において必要なエピソードだったと分かります。というのもこの話に、ブチャラティがベネッツィアの教会でボスのキングクリムゾンの致命傷を受けて死んだはずなのに生きている理由があります。

 

まあオチから言うと、ブチャラティは既に死ぬ運命にあり、ヴェネツィアの教会でボスのキングクリムゾンに致命傷を受けたはずのブチャラティが(一時的に)生き返ったのは、ご都合主義でも何でもなくローリング・ストーンズのスタンド効果です。

 

 

ローリングストーンズのスタンド効果

 

 

 

■彫刻家の男スコリッピを本体とするスタンド能力。彼は幼少時から自然に能力が発現していた天然のスタンド使いである。

 

■スコリッピはある種の霊的な超感覚力、身近な者に近く訪れる「死の運命」を感じ取れる霊能力を有している。この霊能力はそれ単体では真贋不確かな予知でしかないが、これにスタンド能力が加わることで超常的な現象を引き起こす。その現象とは、死期が近い者の「死の姿」を象った「石」を生み出し、それを用いてその当人を「安楽死」させることである。

 

■この能力に巻き込まれる可能性があるのは、スコリッピと関わりのある者全員であり、たとえ面識がなくとも何らかの関わりを持った時点で能力の対象内となる。それらの者たちのうち、数ヶ月以内に死ぬ運命にあり、かつその死が「苦しみ」を伴う「無益な死」である場合、その死を「安らかなもの」に変えるため、ローリング・ストーンズは発動する。その発動はスコリッピの意思とは無関係な自動的なもので、発動したが最後スコリッピにも止めることはできない。

 

■ローリング・ストーンズは「未来に必ず起こる運命」を擬似的な物質に変えて作られる「実体化したスタンド」であり、外観は「石」そのものである。「今の世界」の中に現れ出たその姿は、最初は直径40cmほどの球体をしており、その中に死すべき運命にある者の、「未来に死んだ時の姿」が彫刻として埋もれている。なお隠された「死の姿」は等身大のサイズであるが、石の大きさから分かるようにそれは全身像ではない。(作中では胸を貫かれて死んだブチャラティの胸から上の姿が彫刻になっていた)

 

■また出現時点の「石」の滑らかな球体表面には、大きく「凶」の一文字が彫られている。スコリッピがこの漢字の意味を知っているかは不明だが、この文字は一説によると「落とし穴にはまってもがく者」を表す象形文字であるとされ、それは不幸な死の運命から逃れられない者を象るこのスタンドに相応しいものである。

 

■出現した石は対象者を自動的に追跡し始め、追跡途中に受ける物理的な衝突・衝撃などで少しずつ削れていく。そして中に隠された「死の姿」が露わになるほど、追跡能力は強くなる。その追跡は、「死の姿」が露わになった後には直接的に転がって対象者を追いかける。その動きはかなり緩慢だが、階段を転がって登ったり1mほどジャンプする程度のパワーがあり、執拗に追いかけてくる。一方、球体がほとんど削れていない段階での追跡は、かなり大ざっぱで追跡手法も異なり、対象者の周囲数10m以内で現れたり消えたりしながら移動するようである。

 

■また「未来の運命」が物質化したこの石は、基本的には「今」に存在して「今」を移動するが、行く手を遮る障害物がある時には、ほんのわずかに自身を「未来」に持ち上げることもできるらしい。これによってこの石は障害物に対して、まるで天井が開いた迷路の壁を乗り越えるかのように移動できる。そしてその移動は物質世界上では、石が緩慢に障害物に沈み込んでいくように見える。

 

■ローリング・ストーンズで彫刻された「死の姿」には、対象者に起こる「苦しみを肩代わりする」力が宿っている。そしてその効果は対象者が「石に触れる」ことで発揮される。その時具体的に何が起こるのかは作中では描写されていないが、おそらくは生命エネルギーを全て吸い取られて、眠りに落ちるように安楽死するものと思われる。一方「石」の方はおそらく、「死の姿」と「当人の生命エネルギー」が揃って「運命の肩代わり」を終えた後で消滅する。(これらの効果が発揮されるのは当然石に彫られた当人だけであり、他者が触れても全く影響はない)

引用元:http://azathoth.jp/stands/kobetu/RollingStones.htm

 

 

つまり、ローリングストーンズは自動発動型のスタンドでその効果は、「死の運命にある人間を苦しませずに安らかに死なせる能力」で、作中ではブチャラティの死の運命に反応し、ブチャラティの死の形となり、ブチャラティを安楽死させるべき追跡していました。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

そして、ここからが重要でローリングストーンズには「運命を改変するスタンド効果があり、それは死すべき者の苦しみを肩代わりするだけでなく、それ以上の「益」を周囲の者にもたらすという形で表れます。

 

作中の場合ではスコリッピの恋人がローリングストーンズの能力で安楽死させられたことにより、結果的に彼女の残した臓器が彼女の父親を救うという「益」をもたらしていました。これがローリングストーンズの運命改変効果です。

 

このようにローリング・ストーンズは、「無益にもたらされる「苦しみ」と「死」に対して、死を変えることはできない代わりに「より良い死」を与えるための能力」な訳です。

 

しかし、その当人や仲間がそれを望まない場合、「石」をバラバラに砕くことができればこの能力から逃れられることができます。

 

作中ではミスタがローリングストーンズが反応しない=自分は死の運命にないことを逆手にとってビルから飛び降りることで石を破壊していました。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

しかしローリングストーンズの石の破壊に成功したとしても、その者に本来起こる「死の運命」からは逃れられるわけではありません。

 

むしろローリングストーンズの能力を拒否すると、その死は本来より多くの「苦難」の後に与えられると共に、ローリングストーンズによって与えられるはずだった「益」の代わりに「害」が生まれます。

 

作中の場合だと最初はブチャラティ1人だけが死の運命にあったはずなのに、ミスタが石を破壊したために、石の形(運命)が変わってしまい、その残骸にアバッキオとナランチャの顔が掘られてしまいました。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

つまり、ここでブチャラティが安楽死を選ばなかったために運命が変わり、2人はボスとの闘いに巻き込まれ命を落とす運命になってしまったのです。これがローリングストーンズの能力を拒否することで生まれる「害」と言えます。

 

ですが、石の破壊によってローリング・ストーンズの能力から逃れた者は、「死を前倒し」にしようとしたこの能力の反動なのか、本来死ぬべき時(つまり石が彫った姿の時)を越えて、死人の体に魂が宿った状態で何日か活動を続けられることができます。

 

つまり、ヴェネツィアでブチャラティがボスのキングクリムゾンから致命傷を受けたにも関わらず、一時的に生き返ったのはこのローリングストーンズの能力なのです。逆にミスタが毎回ボロボロになりつつ死なないのも、そこでは死なない運命だからです。

 

 

まとめ~人は皆、眠れる運命の奴隷である

 

第5部の物語は一見チンピラのジョルノがボスを倒して、夢のギャングスターになるというジャンプあるあるの勧善懲悪のサクセスストーリーですが、哲学的な見方をすると、ディアボロのキングクリムゾンの能力というのは、運命を操る(未来を読み、都合の悪い未来を書き換える)能力であって、それに対して運命の奴隷である主人公たちが、闘いを挑む話なわけです

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

そして、ブチャラティたちがローリング・ストーンズの能力によって安らかに死ぬという結末を拒否し、死という運命が待っていようとも最後まで抗った結果、ジョルノが矢を手に入れゴールド・エクスペリエンス・レクイエムを発現させてディアボロに勝利し敗北したボスは自分の運命、つまり帰るべき自分の人生を永遠に失って無限に死に続ける訳という最期を迎えました。そう考えるとローリングストーンズの話は蛇足どころか超重要な話だと思います。

 

人の運命が見えるスコリッピ(ローリング・ストーンズの本体)にとって、人生とは結末の見えている虚しいもの、あるいは価値のないものに見えていたわけですが、このエピソードで運命に立ち向かうミスタ(とブチャラティたち)の姿を見て、彼は考えを変えるわけですね。「人は運命の奴隷かもしれないが、その人生には意味があるかもしれない。その姿は他の誰かの希望となるのかもしれない」と。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

実際ブチャラティたちは運命の通りに死んでしまいましたが、彼らの意思はジョルノ・ミスタ・トリッシュに受け継がれ、結果として無敵のスタンドであるディアボロとキングクリムゾンを倒すことができました。

 

そういう意味でブチャラティたちは自分の運命は変えられなくとも死ぬまでの生き方の選択によって、周りの運命を大きく変えられたと言えるわけで、ブチャラティたちはある意味では『運命に勝利した』と言えるのかもしれません。

 

ジョジョの考え方でいくと人の運命とは既に決まっているものであり、それに抗う事は出来ず、人はこの先に何が待ち受けているかも知ることはできず、ただ運命を受け入れるしかない存在、つまり『眠れる奴隷』なわけです。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

ですが「覚悟」を決めてその運命に立ち向かう者は更に大きな犠牲を払い、いずれその運命に押し潰されるとしても、 自身の納得という意味では幸せなのかもしれない=目覚めた奴隷だと言えます。

 

そういった意味で『ローリングストーンズ』はジョジョ5部の「あらかじめ決まっていると運命に対してどう向き合えばいいのか」というテーマのためのスタンドと言えます。

 

まとめると、このローリング・ストーンズのエピソードは「人の運命は既に決まっていて変えられないものだとしてもなお、人生には生き方によって価値があるのかもしれない」というメッセージを描いたというが込められた荒木イズム全開なエピローグな訳です。

 

こういうところがジョジョ5部の良いところだと思いますね。個人的にジョジョの奇妙な冒険は8部以外全部好きですが、5部は考えさせられるところが多いので一番好きです。

 

 

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ジョジョの奇妙な冒険の作者である荒木先生の「運命に対する向き合い方」の話は5部だけではなく、ここから6・7部でも続いていくので、スタンド能力とかは確かに分かりにくくなっていきますが、哲学的な意味で見ると1・2・3・4部よりも5・6・7部の後半のほうが奥が深く考えさせられる点が多いかなと個人的には思います。

 

 

 

 

 

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プロシュート兄貴とペッシから見る「言葉」でなく「心」で理解するという事の意味

 

 

臆病なマンモーニ(ママっ子)のペッシ

 

暗殺チームの中では下っ端で、人を殺した経験すらなく、先の戦いで敗れた二人の仇討ちまで口にするなど言動に青臭さが感じられる。恐らくは年齢もブチャラティ達とどっこいどっこいなのかもしれない。 登場時はプロシュート兄貴に甘えっぱなしの臆病なマンモーニ(ママっ子)だった。覚悟も実戦経験もあまりないようで、ミスタの奇策に完全にビビっていた。プロシュート兄貴のおかげでなんとか助かったが、その後に兄貴から暗殺チームの一員としての覚悟と気迫の足りなさについて説教を受けていた。ブチャラティとの初戦でもあまり活躍出来ていない。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

こういう感じでペッシはプロシュートの兄貴から何度も成長しろ、供御を持てと口酸っぱく言われているわけですが一向にペッシにはそれを理解できませんでした。そのために彼はミスタに氷を割られて動揺でスタンドを解除してしまうなどのミスを犯してしまい、結果的にブチャラティたちは救われました。

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

言葉は背中で語れ

 

そして、なんだかんだでトリッシュのいる亀を発見したわけですが、ここですでにミスタの失敗したという報告を聞いて、ブチャラティが亀から出て待ち構えており、ペッシは不意打ちで一発ノックアウトされ、プロシュートの兄貴とブチャラティの怠慢バトルが始まるわけですが、プロシュートの兄貴はブチャラティの奇策により列車に引かれてしまいました。

 

ですが、プロシュートは瀕死の状態ではありますが、かろうじて生きており、最後の力を振り絞って自身のスタンド能力であるグレイトフルデットの老化を維持します。このプロシュートの兄貴の死ぬまでスタンドを絶対に解除しないという姿勢と覚悟を見て、ペッシはようやく日ごろから言われていたけどよく分かっていなかったプロシュートの兄貴からの言葉の意味をようやく「言葉」ではなく「心」で理解したのです。

 

 

 

引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

わかったよ、プロシュート兄ィ!!兄貴の覚悟が!「言葉」でなく「心」で理解できた!」
「ブッ殺すって思った時は、兄貴ッ!すでに行動は終わっているんだね」

 

 

 

そこからのペッシはまさに別人で戦闘では自身のスタンド能力を大いに活かした戦法で奮戦。 その成長っぷりたるやブチャラティにして「外の老化の男さえ倒せば もうオレたちの勝利かと思っていた・・・だが 甘く見ていた。この列車の中で本当にやっかいなのは「老化させる能力」の男の方ではなかった。真に恐ろしいのは・・・・・・・・・!!この「釣り糸」の男の方だった!」と言わしめたほどです。

 

車の停止後、車外にてブチャラティと正面切って一騎討ちを展開。致命傷を負いながらもかろうじて生きていたプロシュート兄貴の援護もあり一時優位に立つが、自身の『糸』を逆利用され、ブチャラティによって首を折られてしまう。

 

それでも執念で立ち続け、亀の内部に入り込んでジョルノたちを道連れにしようとしたものの、寸前の所で阻止され、アリアリラッシュをお見舞いされる。バラバラになった肉体は川の中へと落ちていき、ペッシの敗北とほぼ同時にプロシュート兄貴も息絶えた。一見当たり前の行動にしか見えない道連れに対しブチャラティがキレた理由だが、恐らく道連れの理由が(口では仲間の為と言っているが)ブチャラティに悔しさと絶望を味わわせたいだけであった。

 

つまり先程までの気高い覚悟がただの自己満足に摩り替わってしまっていたからだと思われる(亀を叩き付けようとする際の下卑た笑い声がそれを示唆しているのだと思われる)。兄貴の言葉通りに「ブッ殺す」と心の中で思った時に行動が既に終わっていれば、他のメンバーを全滅させることもできただろうに、すぐにそれをせずにその様をブチャラティに「見せつける」ことを優先したのだ。「そこら辺のナンパ道路や仲よしクラブ」と同等か、それ以下の末路であった。「精神の成長に心が追いつかなかった」と言われる所以である。

 

まあ結果としてペッシは精神的に成長したもののブチャラティの覚悟にあと一歩及ばず敗北してしまうわけですが、このペッシとプロシュートの兄貴から見えることとしては、「相手に対して、自分の言葉や意味を本当の意味で伝えたい場合は自分を背中で語るのが一番効果的」だということです。

 

例えば子育てであれば、子供に対してもガミガミ勉強しろという親がいます。ですが、子供はその場では勉強するかもしれませんが、それからまた親が口酸っぱく言わないと勉強しません。これはその子供が親の言葉を心で理解していないからです。

 

そして、子供が親の言葉の心で理解できていないのは親が勉強していないからです。自分がろくに勉強していないのに勉強しろしろと言って子供が勉強するわけないのです。もし本当に子供に勉強してほしかったら、自分が資格勉強なりをしてその背中で勉強の意味を語るべきなのです。

 

そうすることで子供は親のいう勉強の大切さをそうでないと子供は親の勉強しろという言葉の意味を心では理解しない、つまり真に理解しないのです。

 

 

終わり

 

ジョジョシリーズは1~8部までありますが、個人的に一番好きなのは5部ですね。ストーリー自体は一見3部みたいな敵を倒すみたいなものですが、そこに「運命への覚悟」と「結果と過程」という人生哲学が上手い感じで込められていて好きです。

 

人間賛歌という意味では6部と7部も好きですが、個人的には五部の塩梅が一番好みです。今回のペッシとプロシュートや最後のキングクリムゾンとゴールドエクスペリエンスレクイエムの対比や、ローリング・ストーンズも好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ジョジョ5部のジョルノvsボス戦から考察する「結果」と「過程」の意味と関係性

 

アニメ版「ジョジョの奇妙な冒険5部~黄金の風」アニメの出来も非常に良くて改めて泣けました。4部のアニメが作画とか微妙な出来だったので、あまり期待していなかったのですが、5部のアニメは原作ファンとして非常に満足のいく出来で嬉しかったです。円盤もデジタル化の今の時代には少しかさばりますが、お布施として買おうと思います。

 

初めてマンガでジョジョ5部を読んだのは15年以上前ですが、当時はジョジョなんて1部のファントムブラッドの映画はコケて到底続編なんて無理、承太郎とDIOの時止め合戦で人気の3部はなんとかOAVされましたが、5部のアニメ化なんてまた夢の夢だったのが、2019年に高画質・高クオリティで見ることができて本当に感激しました。

 

ここ数年鉄血のオルフェンズとかひどいモノを見ていたので、今のアニメ業界もちゃんと作ればいいものができるんだなと久しぶり感動しました。

 

まあそれはひとまず置いておいて、今回は改めてディアボロのキンクリVSジョルノのゴールドエクスペリエンスレクイエム戦から見てとれる「ジョジョの奇妙な冒険~黄金の風」という作品全体のテーマである「過程」と「結果」ついて、自分なりの解釈を保存用に書いておこうと思います。

 

 

キングクリムゾンの能力の意味

 

引用元:ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 Vol.1 (1~4話/初回仕様版) [Blu-ray]

 

 

本作のラスボスであるディアボロの操るキングクリムゾンは単純に能力の概要はジョジョのボス恒例の時間関係の能力です。キングクリムゾンの能力はデコにあるエピタフで未来を予知し、キングクリムゾンの能力で未来までの時間(5秒間)におきた事象そのものを消し飛ばすというものです。つまり、過程(5秒間の間に起こったこと)が消滅し、都合のいい結果(未来)だけを選ぶ能力だと言えます。

 

ですが、キングクリムゾンを操るディアボロはジョルノ=ジョバーナが操るゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)にその時間飛ばしの能力を使ったという事実自体を無効化され、死ぬまでの過程を無限に繰り返すという、カーズや吉良やDIOなどと比較して、ある意味一番エグイ最後を迎えるわけですが、これは「結果だけを重視するディアボロと、結果への過程を重視するジョルノ達との対比」になっており非常に考えさせられます。

 

 

ボス(ディアボロ):世の中は結果が全て。過程など関係ない

・ジョルノ達:大切なのは結果に行き着くまでの過程

 

 

ジョジョ5部~黄金の風での「過程」と「結果」

 

ジョジョ5部は一見、関係上はDIOの子供だけどジョースター家の血筋として、正義の心を持ったギャングスターにあこがれる少年が、悪いギャングのボスを倒すという勧善懲悪方式のストーリーですが、その中で「過程」と「結果」がとても意識されている作品です。

 

まずその兆しは、ディアボロのスタンドであるキングクリムゾンの能力ですが、他にも「結果と過程」について意識しているシーンがあります。例えば物語中盤でアバッキオがボスからの不意打ちを受けて、死んでしまうシーンですが、アバッキオは死ぬ間際の三途の川?で、警官時代に自分のせいで殺してしまった同僚の警察官が事件の証拠として、粉々に割れた酒瓶を修復して犯人の指紋を取ろうする場面に遭遇します。これをみたアバッキオは最初彼を馬鹿にするわけですが、彼はこういいます。

 

 

引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

「大切なのは真実に向かおうとする意志だ」という彼の言葉を聞いて、アバッキオは最後のスタンドパワーを振り絞ってボスの若いころの顔を像の側面に焼き付けます(あんまりディアボロに似てませんが・・・笑)。

 

アバッキオはボスの正体を暴くという「結果」には辿り着きませんでしたが、向かおうとする意志がありました。そのおかげでブチャラティたちは、ボスの指紋データへのアクセスを監視していたポルナレフとコンタクトを取ることができ、コロッセオで矢を手に入れ、ジョルノが進化したゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)でディアボロを倒すことができたわけです。

 

結果的にジョジョシリーズでも最強格のスタンドであるディアボロのキングクリムゾンを倒したのは、主人公ジョルノのゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)でしたが、ジョルノが矢を手に入れGERを発現ことができたのは、アバッキオとブチャラティとナランチャの努力と死という「過程」があったからこそなのです。

 

 

引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャ・(ポルナレフ?)たちは結果として死んでしまいましたが、その死は決して無駄ではありませんでした。

 

加えてエンディング後のエピローグのローリングストーンズの話で分かるようにブチャラティたちは死の運命に対して何もせず安らかに死を受け入れることもできたのに結果として辛く険しい道を選びました。

 

このブチャラティたちの運命に対する「覚悟」こそが、今まで「過程」を無視し都合のいい結果だけを選んで勝ち続けてきたディアボロとキングクリムゾンを倒し、ジョルノとゴールドエクスペリエンスを勝利へと導くことができたのです。

 

 

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ラストのキンクリ vs GER戦での「結果」は「おのれにとって都合に良い結果」で ディアボロの能力と言うのは、言うなら「おのれに都合よく運命を捻じ曲げる」能力なわけです。 ですが主人公達は運命を捻じ曲げないで、自身の正義に従って行動しました。 だからあの過酷な「過程」も、その先に待っていた「結果」も受け入れました。

 

辛い「過程」の先に待っているのが、たとえ悲痛な「運命」であっても、それを運命として受け入れ自分の信念に従って動くのが人間の強さ、これがジョジョという作品を通してのテーマである「人間賛歌」だと思います。

 

そして、今までキングクリムゾンで「過程」を飛ばして都合の良い「結果」だけを選んできたディアボロが、結果への「過程」を重視してきたジョルノとブチャラティたちに負けたという事実は、結果と過程は1つのまとまりであり「結果だけが大切なのではなく、結果に向かうための過程も大切」だという作者である荒木先生のメッセージなのだと思います。

 

他にもプロシュートの兄貴の「ぶっ殺す、そう思ったときに既に行動は終了しているんだ!」というのも、過程を重視するジョルノたちと、結果だけを重視している敵側の対比になっていると思います。

 

 

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今の世の中はすぐに結果を求める人や企業が多いですが、「過程」と「結果に向かう意志」こそが求める「結果」を手に入れるために必要な大事なものであり、ジョルの「生き残るのは・・・この世の真実だけだ・・・。真実から出た『誠の行動』は・・・決して滅びはしない」というセリフあるように『過程』を伴わない結果は真実ではなく偽りであり、ディアボロのようにいずれ滅びることになるのです。

 

 

引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))

 

 

アバッキオの同僚も言うように、『過程をすっ飛ばして、都合のいい結果だけを求める行為は、大切なモノを見落としていつか足元を掬われることになる』。荒木先生はそう表現したかったのだと思います。

 

人の人生とは「過程」と「結果」のサイクルであり、人生全体で見ればあらゆる結果は過程の一部です。だからこそ「結果」への「過程」は大切であり、おろそかにしてはならない。そして要所要所で見れば人生は「過程」から「結果」へ行く無限の螺旋階段であり、人は皆、この「過程」と「結果」の螺旋階段を上りながら人生を歩む運命の奴隷である。

 

これがジョジョ5部「黄金の風」という作品に込められたメッセージなのです。歴代のジョジョの作品の中でも5部は一本筋が通っていて、非常に綺麗にまとまっていて最高傑作だと思います。

 

 

「結果と過程」、「運命と覚悟」こそがジョジョのテーマ

 

5部でのテーマだった「運命と覚悟」「結果と過程」はここから6部・7部にも引き継がれていくテーマでもあり、「運命と覚悟」については6部の最後のプッチ神父とエンポリオの「正義の道を歩むことこそ運命なんだ」というやり取りやプッチ神父とメイドインヘブンの能力に代表されるように6部全体での大きなテーマになっています。

 

引用元:ジョジョの奇妙な冒険Part6(全11巻セット)

 

 

そして、「過程」と「結果」については7部の大統領戦でのジャイロの『一番の近道は遠回りだった』『遠回りこそが俺の最短の道だった』というやり取りなどに表現されており、7部は5部とはまた違ったアプローチで表現されています。

 

 

引用元:STEEL BALL RUN 文庫版 コミック 全16巻完結セット(化粧ケース入り) (集英社文庫―コミック版)

 

 

個人的に5部「黄金の風」の次に好きなのが7部「スティールボールラン(SBR)」で、これも本当に面白いので、今回の5部のアニメを見てジョジョっておもしろいなと思った人にはぜひ読んでほしいなと思います。(もちろん6部も好きですがラストとかで読む人を選ぶので・・・)

 

ジョジョの奇妙な冒険というマンガは、ストーリーやスタンド能力だけでなくこの辺りも意識して読み進めていくと、単なるスタンド能力バトルマンガではなく、テーマが「人間賛歌」というだけあって、所々に人生哲学が散りばめられており、人生について考えさせられる面白い作品だと思います。

 

 

 

 

 

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