ローリング・ストーンズの話が最後にくる意味
今ジョジョの奇妙な冒険5部「黄金の風」がアニメ化されていて、アニメからジョジョを見始めたであろう人が、SNSとかで『ジョジョ第5部で、ローリング・ストーンズの話って必要だったか?ボスを倒して第5部完で良かったんじゃない?』みたいなツイートを見かけたので、今日はローリングストーンズの能力とかエピソードの意味とかを自分なりの解釈で書いていこうかなと思います。
まあ『ローリングストーンズ』のエピソードってボスを倒した後に急に来る前日談の話で、一見すると???みたいなオチなので、さらっと読むと「この敵でもない悟り開いたおっさんなんなんだよ、主人公のジョルノがGERでディアボロのキンクリ倒して大円団で終わりでいいじゃん」って感想になると思います(自分も初見はそうでした)。
しかし何回か読むとローリングストーンズのエピソードは5部において必要なエピソードだったと分かります。というのもこの話に、ブチャラティがベネッツィアの教会でボスのキングクリムゾンの致命傷を受けて死んだはずなのに生きている理由があります。
まあオチから言うと、ブチャラティは既に死ぬ運命にあり、ヴェネツィアの教会でボスのキングクリムゾンに致命傷を受けたはずのブチャラティが(一時的に)生き返ったのは、ご都合主義でも何でもなくローリング・ストーンズのスタンド効果です。
ローリングストーンズのスタンド効果
■彫刻家の男スコリッピを本体とするスタンド能力。彼は幼少時から自然に能力が発現していた天然のスタンド使いである。
■スコリッピはある種の霊的な超感覚力、身近な者に近く訪れる「死の運命」を感じ取れる霊能力を有している。この霊能力はそれ単体では真贋不確かな予知でしかないが、これにスタンド能力が加わることで超常的な現象を引き起こす。その現象とは、死期が近い者の「死の姿」を象った「石」を生み出し、それを用いてその当人を「安楽死」させることである。
■この能力に巻き込まれる可能性があるのは、スコリッピと関わりのある者全員であり、たとえ面識がなくとも何らかの関わりを持った時点で能力の対象内となる。それらの者たちのうち、数ヶ月以内に死ぬ運命にあり、かつその死が「苦しみ」を伴う「無益な死」である場合、その死を「安らかなもの」に変えるため、ローリング・ストーンズは発動する。その発動はスコリッピの意思とは無関係な自動的なもので、発動したが最後スコリッピにも止めることはできない。
■ローリング・ストーンズは「未来に必ず起こる運命」を擬似的な物質に変えて作られる「実体化したスタンド」であり、外観は「石」そのものである。「今の世界」の中に現れ出たその姿は、最初は直径40cmほどの球体をしており、その中に死すべき運命にある者の、「未来に死んだ時の姿」が彫刻として埋もれている。なお隠された「死の姿」は等身大のサイズであるが、石の大きさから分かるようにそれは全身像ではない。(作中では胸を貫かれて死んだブチャラティの胸から上の姿が彫刻になっていた)
■また出現時点の「石」の滑らかな球体表面には、大きく「凶」の一文字が彫られている。スコリッピがこの漢字の意味を知っているかは不明だが、この文字は一説によると「落とし穴にはまってもがく者」を表す象形文字であるとされ、それは不幸な死の運命から逃れられない者を象るこのスタンドに相応しいものである。
■出現した石は対象者を自動的に追跡し始め、追跡途中に受ける物理的な衝突・衝撃などで少しずつ削れていく。そして中に隠された「死の姿」が露わになるほど、追跡能力は強くなる。その追跡は、「死の姿」が露わになった後には直接的に転がって対象者を追いかける。その動きはかなり緩慢だが、階段を転がって登ったり1mほどジャンプする程度のパワーがあり、執拗に追いかけてくる。一方、球体がほとんど削れていない段階での追跡は、かなり大ざっぱで追跡手法も異なり、対象者の周囲数10m以内で現れたり消えたりしながら移動するようである。
■また「未来の運命」が物質化したこの石は、基本的には「今」に存在して「今」を移動するが、行く手を遮る障害物がある時には、ほんのわずかに自身を「未来」に持ち上げることもできるらしい。これによってこの石は障害物に対して、まるで天井が開いた迷路の壁を乗り越えるかのように移動できる。そしてその移動は物質世界上では、石が緩慢に障害物に沈み込んでいくように見える。
■ローリング・ストーンズで彫刻された「死の姿」には、対象者に起こる「苦しみを肩代わりする」力が宿っている。そしてその効果は対象者が「石に触れる」ことで発揮される。その時具体的に何が起こるのかは作中では描写されていないが、おそらくは生命エネルギーを全て吸い取られて、眠りに落ちるように安楽死するものと思われる。一方「石」の方はおそらく、「死の姿」と「当人の生命エネルギー」が揃って「運命の肩代わり」を終えた後で消滅する。(これらの効果が発揮されるのは当然石に彫られた当人だけであり、他者が触れても全く影響はない)
引用元:http://azathoth.jp/stands/kobetu/RollingStones.htm
つまり、ローリングストーンズは自動発動型のスタンドでその効果は、「死の運命にある人間を苦しませずに安らかに死なせる能力」で、作中ではブチャラティの死の運命に反応し、ブチャラティの死の形となり、ブチャラティを安楽死させるべき追跡していました。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
そして、ここからが重要でローリングストーンズには「運命を改変するスタンド効果があり、それは死すべき者の苦しみを肩代わりするだけでなく、それ以上の「益」を周囲の者にもたらすという形で表れます。
作中の場合ではスコリッピの恋人がローリングストーンズの能力で安楽死させられたことにより、結果的に彼女の残した臓器が彼女の父親を救うという「益」をもたらしていました。これがローリングストーンズの運命改変効果です。
このようにローリング・ストーンズは、「無益にもたらされる「苦しみ」と「死」に対して、死を変えることはできない代わりに「より良い死」を与えるための能力」な訳です。
しかし、その当人や仲間がそれを望まない場合、「石」をバラバラに砕くことができればこの能力から逃れられることができます。
作中ではミスタがローリングストーンズが反応しない=自分は死の運命にないことを逆手にとってビルから飛び降りることで石を破壊していました。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
しかしローリングストーンズの石の破壊に成功したとしても、その者に本来起こる「死の運命」からは逃れられるわけではありません。
むしろローリングストーンズの能力を拒否すると、その死は本来より多くの「苦難」の後に与えられると共に、ローリングストーンズによって与えられるはずだった「益」の代わりに「害」が生まれます。
作中の場合だと最初はブチャラティ1人だけが死の運命にあったはずなのに、ミスタが石を破壊したために、石の形(運命)が変わってしまい、その残骸にアバッキオとナランチャの顔が掘られてしまいました。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
つまり、ここでブチャラティが安楽死を選ばなかったために運命が変わり、2人はボスとの闘いに巻き込まれ命を落とす運命になってしまったのです。これがローリングストーンズの能力を拒否することで生まれる「害」と言えます。
ですが、石の破壊によってローリング・ストーンズの能力から逃れた者は、「死を前倒し」にしようとしたこの能力の反動なのか、本来死ぬべき時(つまり石が彫った姿の時)を越えて、死人の体に魂が宿った状態で何日か活動を続けられることができます。
つまり、ヴェネツィアでブチャラティがボスのキングクリムゾンから致命傷を受けたにも関わらず、一時的に生き返ったのはこのローリングストーンズの能力なのです。逆にミスタが毎回ボロボロになりつつ死なないのも、そこでは死なない運命だからです。
まとめ~人は皆、眠れる運命の奴隷である
第5部の物語は一見チンピラのジョルノがボスを倒して、夢のギャングスターになるというジャンプあるあるの勧善懲悪のサクセスストーリーですが、哲学的な見方をすると、ディアボロのキングクリムゾンの能力というのは、運命を操る(未来を読み、都合の悪い未来を書き換える)能力であって、それに対して運命の奴隷である主人公たちが、闘いを挑む話なわけです。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
そして、ブチャラティたちがローリング・ストーンズの能力によって安らかに死ぬという結末を拒否し、死という運命が待っていようとも最後まで抗った結果、ジョルノが矢を手に入れゴールド・エクスペリエンス・レクイエムを発現させてディアボロに勝利し敗北したボスは自分の運命、つまり帰るべき自分の人生を永遠に失って無限に死に続ける訳という最期を迎えました。そう考えるとローリングストーンズの話は蛇足どころか超重要な話だと思います。
人の運命が見えるスコリッピ(ローリング・ストーンズの本体)にとって、人生とは結末の見えている虚しいもの、あるいは価値のないものに見えていたわけですが、このエピソードで運命に立ち向かうミスタ(とブチャラティたち)の姿を見て、彼は考えを変えるわけですね。「人は運命の奴隷かもしれないが、その人生には意味があるかもしれない。その姿は他の誰かの希望となるのかもしれない」と。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
実際ブチャラティたちは運命の通りに死んでしまいましたが、彼らの意思はジョルノ・ミスタ・トリッシュに受け継がれ、結果として無敵のスタンドであるディアボロとキングクリムゾンを倒すことができました。
そういう意味でブチャラティたちは自分の運命は変えられなくとも死ぬまでの生き方の選択によって、周りの運命を大きく変えられたと言えるわけで、ブチャラティたちはある意味では『運命に勝利した』と言えるのかもしれません。
ジョジョの考え方でいくと人の運命とは既に決まっているものであり、それに抗う事は出来ず、人はこの先に何が待ち受けているかも知ることはできず、ただ運命を受け入れるしかない存在、つまり『眠れる奴隷』なわけです。
引用:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
ですが「覚悟」を決めてその運命に立ち向かう者は更に大きな犠牲を払い、いずれその運命に押し潰されるとしても、 自身の納得という意味では幸せなのかもしれない=目覚めた奴隷だと言えます。
そういった意味で『ローリングストーンズ』はジョジョ5部の「あらかじめ決まっていると運命に対してどう向き合えばいいのか」というテーマのためのスタンドと言えます。
まとめると、このローリング・ストーンズのエピソードは「人の運命は既に決まっていて変えられないものだとしてもなお、人生には生き方によって価値があるのかもしれない」というメッセージを描いたというが込められた荒木イズム全開なエピローグな訳です。
こういうところがジョジョ5部の良いところだと思いますね。個人的にジョジョの奇妙な冒険は8部以外全部好きですが、5部は考えさせられるところが多いので一番好きです。
ジョジョの奇妙な冒険の作者である荒木先生の「運命に対する向き合い方」の話は5部だけではなく、ここから6・7部でも続いていくので、スタンド能力とかは確かに分かりにくくなっていきますが、哲学的な意味で見ると1・2・3・4部よりも5・6・7部の後半のほうが奥が深く考えさせられる点が多いかなと個人的には思います。
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