【ネタバレあり】仮面ライダーOOO「復活のコアメダル」が駄作になってしまった理由を考える

特撮

 

「復活のコアメダル」。OOOは好きな作品だったので楽しみにしていましたが、先行上映会の酷評っぷりというか冷ややかな感想を見て期待しちゃいけないと覚悟して見に行ったわけですが、とにかく終始「本編の最終回を擦ればエモいでしょ?」感がきつかったです。

 

映司の人も劇中8割ゴーダ状態、アンクとの再会すら他人の演技で挙句の果てには死亡エンドで気の毒としか言えないです。。。

 

他にも言いたいことは色々ありますが、そもそもこれって視聴者が娯楽のためにお金を払ってみる映像作品でしかも綺麗に終わった人気作の10周年記念作品で主人公が雑に死ぬ展開にして誰が喜ぶと思ったんだろうってのがまず感想ですねハイ。

 

 

謎の反転と設定の矛盾

 

この映画、なんかタジャドルに変身するときに本編で最終回を雑に反転させたようなセリフと変身時に映司の声が入ってたり映司の幻影が戦ってましたが、あれは元々メダルのアンクだからこそメダルが意思をもって変身者に協力しているというのがいわばエモかったわけで、なんで人間の映司がああなんねんと。

 

そしてメダルの枚数どころかオーズドライバーの数もあってないし、オーズのデフォルト武器じゃないメダジャリバーをなんで復活した王様が持っているんですかね?もうそもそもの設定がおかしいので同人作品という意思表示なのではないかとすら思えました。

 

アンクは復活させないでおくべきだった

 

やっぱり個人的にはアンクを復活させないところで終えるのが一番綺麗だったと思っています、命は死ぬことで初めて命たり得るものとして証明できるからこそ最終話の「ただのメダルが『死ぬ』ところまで来た」っというアンクの言葉が深く突き刺さるわけでほんまに復活させてどないすんねんと。

 

まあとは言え映像作品ですしアンクは死にました!終わり!だと味気なさ過ぎるし、いつかまた会えるといいなぁぐらいの晴れやかな気分で旅に出る映司の落とし所が本当にいい具合だったと思います。(こういう見てる側の人の需要をちゃんとわかっているのがさすが龍騎とか名作を作ってきた小林女史なんですよね)

 

それこそアンクの扱いって遊戯王初代の映画のATMみたいに完全復活はしないけど、味方の絶体絶命のピンチで不思議なことが起こった的なノリで一時復活して新フォーム見せてまた消えるくらいで良かったんですよ。なんで復活させちゃったんでしょうね・・・?

 

しかもアンクが復活しても相棒の映司が死んでいたらアンクは不老不死のグリードで一人ポツンと現代に残るだけでどうしようもないのに。。。

 

ようは何が言いたいかというとこんな続編作る意義はなんだったんだろうってことで、そもそもな話アンク生き返らせようとしなければ映司も死なないわけで、映司の業(笑)とやらを支払う必要も無かったんですよね

 

しかも百歩譲って制作側が復活させたかったとしても10年あったのにアンクの復活方法とか誰も良い案持って無かったんでしょうか?続編をやるならまずアンクがどうやって復活するのってのとてもとても大事なはずなのに、ブラックRXばりのその時不思議なことが起こったみたいなノリで適当に復活させるって自分には理解できませんでした。

 

ていうか他の4グリードが復活してる、人造グリードが作れるほど技術が発達してるんだったら、まずゴーダの前にコアメダルが割れてただけのアンクを蘇らすべきですよね。本編の描写を見る感じだと瞬間接着剤で割れたメダルくっつけたら復活しそうなノリでした。

 

火野映司を死なせた意味はどこにあったのか

 

TV本編が1年かけて火野映司という人間の再生の物語をやって10年後にそれを台無しにして死なせる意味有ったんでしょうか?

 

もちろん目の前で女の子が死にそうになってたら映司はもちろんヒーローなら助けるの当たり前ですね、でもそれが映司らしいって言われても主人公をそんな陳腐な展開で殺されて納得できなかったです。しかも制作側が死が救済とか発言しているらしくて、この人たちはヒーローものの特撮作品の製作スタッフなんだろうかって思っちゃいました。

 

個人的にオーズのテーマは「欲望」で人は欲望に負けたり過ちを犯すけど やり直せるしその原動力にもなるってことだったと思います。やっぱりこの映画を作った人たちは本編でよく言われていた「楽して助かる命はない」っていう履き違えてると思います。本編で伊達さんや比奈ちゃんに散々言われてましたがそれで氏んでたら本末転倒だろと。

 

またアンク復活という欲望に対して命が代償として要るとしてもそのまま死なせたんじゃただ欲望に負けただけに思えます、それこそハガレンの最後みたいにオーズに変身する力を失うとかならまだ分かりますが・・・

 

まあ誰も望んではいないでしょうけど、制作側がオーズの世界のルールを欲望には対価や代償が伴うみたいな、鋼の錬金術師みたいな等価交換の法則で考えていると百歩譲って仮定してとしても、じゃあ王と鴻上グループはなんなの?っていう矛盾というかすっきりしないポイントが出てくるんですよね。

 

特に鴻上会長なんて本編からして自分の欲望のためだけに人が到底扱えないメダルをからグリードを開放したり王を復活させて人類を滅ぼしかけた戦犯なのになんの罰も受けていない。ちなみにハガレンは主人公以外も師匠もラスボスも等価交換の法則に従わされているからこそ主人公の腕と足が無い理由もすんなり受け入れられます。

 

ですが、復活のコアメダルは主人公だけが謎の等価交換の法則に縛られていているのが違和感の原因だと思います。なので、アンク復活の代償(業)が映司の死とか言われてもは?????としかならないんですよね。

 

ただ単に主人公を殺して泣ける展開にしたいみたいな幼児向けプールのようなあっさい思惑しか感じなくてそれが脚本や展開に滲み出ているからこそ自分はこの作品が駄作だと思います。

 

ちなみにTV本編の脚本を担当していた小林靖子さんも10年前のインタビューでは今回の展開のようなことをプロットで述べてはいますが、小林さんは龍騎やアマゾンズみたいなグロかったり鬱な作品を書きますが、少女を庇って死んだ城戸真司や彼女(あんまり可愛くない…)のために命を掛けた秋山連、イキって調子に乗りまくった挙句やべーやつに足元救われる芝浦順みたく、彼女の脚本だとキャラの死に対して何かしら意味があったり希望があったり、決して雑な展開だったり無意味な死はないんですよね。

 

ですが復活のコアメダルでは火野映司の死は別に意味があったり希望があったりするわけではないんですよね、せめて世界を救ったとかなら分かりますけど、結局人類はほぼ絶滅していて、アンクが雑に復活しただけという何も意味が感じられません。

 

映司殺すにしても、映司が皆と頑張って敵を倒すも致命傷負ってその今際にアンクが映司の復活を願って復活したアンクが映司に憑依してアンクは憑依したまま映司が目を覚ますまで旅に出るとかじゃダメだったんですかね?

 

終わり

 

仮に映司が死ぬ展開だとしても詰将棋みたいにプロットをキッチリ練って映司の死を納得させてくれる作品だったら、また違ったんのかもしれませんが、巨大な欲望と狡猾さを持ってるはずなのにアッサリ満足する映司とか、医者のハズなのに映司を助けようとしないの伊達さんとか、アンクに憑依されているお兄ちゃんを全く心配しない比奈ちゃんとか本編のキャラと思えない立ち振る舞いをしてるのは本当に擁護のしようがないです。

 

この映画の終わりが許されるなら美しい内に終末や無を迎えるべきっていうドクター真木の言い分は自分には正しかったように思えてしまいます。

 

まあ正直自分は最近の東映だしOOOの10周年記念もいつもの米村が書いているヒーロー大戦みたいに突然アンクが生き返って友情タジャドルで敵を倒してめでたしめでたしハッピーエンドでくだらねぇし蛇足だわ~みたいな予想は心のどこかでしていましたが、まさかその蛇足にすら及ばないとは・・・というのが率直な感想です。

 

人気作続編やるにしてもやるなら遊戯王みたいなちゃんとプロット練ってやってほしいですね。正直この脚本を作った人は本当に何がしたかったのか分かりません。経歴を調べるとガンダムWの後日談とかを書いていますが、これも本編のキャラの性格を無視したり後味の悪い展開でかなり評判が悪く、人のふんどしにオ○ニーでウ○コつけて履き潰すのが好きなタイプみたいです。

 

パンフのインタビューで作品を甘口辛口で分けているみたいですが、そもそもそういう区別をしている時点でもう一流ではないと思います。小林靖子女史みたいにうまい人は子供が見ても大人が見ても違う楽しみ方がある作品を書くんですよ。鬼滅の刃もそうですが大人も子供も違う楽しみ方はあるのが名作の要素の1つだと自分は思います。井上敏樹さんもそうですが、少なくとも平成一期を作っていた人たちはそんな作品を作っていました。

 

にしても米村さんがヒーロー対戦みたいな無害なウンコをひねり出すタイプならさながら毛利さんはにおいのあるウンコを捻りだすタイプみたいで、さすがに頭がお花畑の二期信者の皆さんも目が覚めたのではないでしょうか

 

にしてもここ最近のVシネやTTFC見ると殺すノルマでもあるんじゃないかと言うくらい人を殺すのが謎です。武部P辺りの製作陣が石ノ森章太郎原理主義でも目指しているのかもしれませんが、そもそも石ノ森章太郎先生の原理主義って小説版ライダーとか仮面ライダー・シンとかウケが悪すぎて黒歴史にされたことを忘れてるんですかね。。。

 

今のシリーズの礎を築いた平成一期は石ノ森章太郎先生の原作にあった他者の幸せのための主人公に自己犠牲的を不幸を強いるみたいなダークな設定を高寺白倉井上荒川小林あたりがイケメン俳優と練りに練ったプロットと日常ギャグでうまく中和して人気を積み上げていったのにそれをぶち壊すのはホントに辞めてほしいです。

 

そもそも見てくれる人がいなかったら創作なんてやる意味ないのに、10周年のお祭り的な記念作品で露悪的に死をぶつけて死が救済だの映司の業などこの映画を作った人たちは何か意識高い系の勘違いをしてるように思います。

 

そもそも人がたくさん死ぬと言われがちな昭和ライダーや平成一期も一般人が怪人に襲われて死んでいるだけでメインキャラって実はそんなに死んでないわけで、脚本の展開で人を殺すことの意味をはき違えていることに気付いてほしいですね。

 

では~

 

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