アニメ版「ジョジョの奇妙な冒険5部~黄金の風」アニメの出来も非常に良くて改めて泣けました。4部のアニメが作画とか微妙な出来だったので、あまり期待していなかったのですが、5部のアニメは原作ファンとして非常に満足のいく出来で嬉しかったです。円盤もデジタル化の今の時代には少しかさばりますが、お布施として買おうと思います。
初めてマンガでジョジョ5部を読んだのは15年以上前ですが、当時はジョジョなんて1部のファントムブラッドの映画はコケて到底続編なんて無理、承太郎とDIOの時止め合戦で人気の3部はなんとかOAVされましたが、5部のアニメ化なんてまた夢の夢だったのが、2019年に高画質・高クオリティで見ることができて本当に感激しました。
ここ数年鉄血のオルフェンズとかひどいモノを見ていたので、今のアニメ業界もちゃんと作ればいいものができるんだなと久しぶり感動しました。
まあそれはひとまず置いておいて、今回は改めてディアボロのキンクリVSジョルノのゴールドエクスペリエンスレクイエム戦から見てとれる「ジョジョの奇妙な冒険~黄金の風」という作品全体のテーマである「過程」と「結果」ついて、自分なりの解釈を保存用に書いておこうと思います。
キングクリムゾンの能力の意味
引用元:ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 Vol.1 (1~4話/初回仕様版) [Blu-ray]
本作のラスボスであるディアボロの操るキングクリムゾンは単純に能力の概要はジョジョのボス恒例の時間関係の能力です。キングクリムゾンの能力はデコにあるエピタフで未来を予知し、キングクリムゾンの能力で未来までの時間(5秒間)におきた事象そのものを消し飛ばすというものです。つまり、過程(5秒間の間に起こったこと)が消滅し、都合のいい結果(未来)だけを選ぶ能力だと言えます。
ですが、キングクリムゾンを操るディアボロはジョルノ=ジョバーナが操るゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)にその時間飛ばしの能力を使ったという事実自体を無効化され、死ぬまでの過程を無限に繰り返すという、カーズや吉良やDIOなどと比較して、ある意味一番エグイ最後を迎えるわけですが、これは「結果だけを重視するディアボロと、結果への過程を重視するジョルノ達との対比」になっており非常に考えさせられます。
・ボス(ディアボロ):世の中は結果が全て。過程など関係ない
・ジョルノ達:大切なのは結果に行き着くまでの過程
ジョジョ5部~黄金の風での「過程」と「結果」
ジョジョ5部は一見、関係上はDIOの子供だけどジョースター家の血筋として、正義の心を持ったギャングスターにあこがれる少年が、悪いギャングのボスを倒すという勧善懲悪方式のストーリーですが、その中で「過程」と「結果」がとても意識されている作品です。
まずその兆しは、ディアボロのスタンドであるキングクリムゾンの能力ですが、他にも「結果と過程」について意識しているシーンがあります。例えば物語中盤でアバッキオがボスからの不意打ちを受けて、死んでしまうシーンですが、アバッキオは死ぬ間際の三途の川?で、警官時代に自分のせいで殺してしまった同僚の警察官が事件の証拠として、粉々に割れた酒瓶を修復して犯人の指紋を取ろうする場面に遭遇します。これをみたアバッキオは最初彼を馬鹿にするわけですが、彼はこういいます。
引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
「大切なのは真実に向かおうとする意志だ」という彼の言葉を聞いて、アバッキオは最後のスタンドパワーを振り絞ってボスの若いころの顔を像の側面に焼き付けます(あんまりディアボロに似てませんが・・・笑)。
アバッキオはボスの正体を暴くという「結果」には辿り着きませんでしたが、向かおうとする意志がありました。そのおかげでブチャラティたちは、ボスの指紋データへのアクセスを監視していたポルナレフとコンタクトを取ることができ、コロッセオで矢を手に入れ、ジョルノが進化したゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)でディアボロを倒すことができたわけです。
結果的にジョジョシリーズでも最強格のスタンドであるディアボロのキングクリムゾンを倒したのは、主人公ジョルノのゴールドエクスペリエンスレクイエム(GER)でしたが、ジョルノが矢を手に入れGERを発現ことができたのは、アバッキオとブチャラティとナランチャの努力と死という「過程」があったからこそなのです。
引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャ・(ポルナレフ?)たちは結果として死んでしまいましたが、その死は決して無駄ではありませんでした。
加えてエンディング後のエピローグのローリングストーンズの話で分かるようにブチャラティたちは死の運命に対して何もせず安らかに死を受け入れることもできたのに結果として辛く険しい道を選びました。
このブチャラティたちの運命に対する「覚悟」こそが、今まで「過程」を無視し都合のいい結果だけを選んで勝ち続けてきたディアボロとキングクリムゾンを倒し、ジョルノとゴールドエクスペリエンスを勝利へと導くことができたのです。
ラストのキンクリ vs GER戦での「結果」は「おのれにとって都合に良い結果」で ディアボロの能力と言うのは、言うなら「おのれに都合よく運命を捻じ曲げる」能力なわけです。 ですが主人公達は運命を捻じ曲げないで、自身の正義に従って行動しました。 だからあの過酷な「過程」も、その先に待っていた「結果」も受け入れました。
辛い「過程」の先に待っているのが、たとえ悲痛な「運命」であっても、それを運命として受け入れ自分の信念に従って動くのが人間の強さ、これがジョジョという作品を通してのテーマである「人間賛歌」だと思います。
そして、今までキングクリムゾンで「過程」を飛ばして都合の良い「結果」だけを選んできたディアボロが、結果への「過程」を重視してきたジョルノとブチャラティたちに負けたという事実は、結果と過程は1つのまとまりであり「結果だけが大切なのではなく、結果に向かうための過程も大切」だという作者である荒木先生のメッセージなのだと思います。
他にもプロシュートの兄貴の「ぶっ殺す、そう思ったときに既に行動は終了しているんだ!」というのも、過程を重視するジョルノたちと、結果だけを重視している敵側の対比になっていると思います。
今の世の中はすぐに結果を求める人や企業が多いですが、「過程」と「結果に向かう意志」こそが求める「結果」を手に入れるために必要な大事なものであり、ジョルの「生き残るのは・・・この世の真実だけだ・・・。真実から出た『誠の行動』は・・・決して滅びはしない」というセリフあるように『過程』を伴わない結果は真実ではなく偽りであり、ディアボロのようにいずれ滅びることになるのです。
引用元:ジョジョの奇妙な冒険 第5部(30〜39巻)セット (ジョジョの奇妙な冒険) (集英社文庫(コミック版))
アバッキオの同僚も言うように、『過程をすっ飛ばして、都合のいい結果だけを求める行為は、大切なモノを見落としていつか足元を掬われることになる』。荒木先生はそう表現したかったのだと思います。
人の人生とは「過程」と「結果」のサイクルであり、人生全体で見ればあらゆる結果は過程の一部です。だからこそ「結果」への「過程」は大切であり、おろそかにしてはならない。そして要所要所で見れば人生は「過程」から「結果」へ行く無限の螺旋階段であり、人は皆、この「過程」と「結果」の螺旋階段を上りながら人生を歩む運命の奴隷である。
これがジョジョ5部「黄金の風」という作品に込められたメッセージなのです。歴代のジョジョの作品の中でも5部は一本筋が通っていて、非常に綺麗にまとまっていて最高傑作だと思います。
「結果と過程」、「運命と覚悟」こそがジョジョのテーマ
5部でのテーマだった「運命と覚悟」「結果と過程」はここから6部・7部にも引き継がれていくテーマでもあり、「運命と覚悟」については6部の最後のプッチ神父とエンポリオの「正義の道を歩むことこそ運命なんだ」というやり取りやプッチ神父とメイドインヘブンの能力に代表されるように6部全体での大きなテーマになっています。
そして、「過程」と「結果」については7部の大統領戦でのジャイロの『一番の近道は遠回りだった』『遠回りこそが俺の最短の道だった』というやり取りなどに表現されており、7部は5部とはまた違ったアプローチで表現されています。
引用元:STEEL BALL RUN 文庫版 コミック 全16巻完結セット(化粧ケース入り) (集英社文庫―コミック版)
個人的に5部「黄金の風」の次に好きなのが7部「スティールボールラン(SBR)」で、これも本当に面白いので、今回の5部のアニメを見てジョジョっておもしろいなと思った人にはぜひ読んでほしいなと思います。(もちろん6部も好きですがラストとかで読む人を選ぶので・・・)
ジョジョの奇妙な冒険というマンガは、ストーリーやスタンド能力だけでなくこの辺りも意識して読み進めていくと、単なるスタンド能力バトルマンガではなく、テーマが「人間賛歌」というだけあって、所々に人生哲学が散りばめられており、人生について考えさせられる面白い作品だと思います。
コメント
>今の世の中はすぐに結果を求める人や企業が多いですが、「過程」と「結果に向かう意志」こそが求める「結果」を手に入れるために必要な大事なものです。
この一説を見て幼児の頃に読んだ「三匹の子豚」の三男ブタが
レンガ造りの家を時間かけて造ってるのを、藁や木ですぐ出来る簡易的な頼りない家を作った
他の二人の兄弟ブタが指差して笑っている挿絵を思い出しました